マレーシア キャメロンハイランド 

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 私は、ドイツ人の友人とマレーシアの高級リゾートのキャメロンハイランドとフレーザーズ・ヒルを訪問した。これらは日本人には穴場で、まさに欧米人の保養地である。日本では軽井沢に該当するであろう。先に、フレーザーズ・ヒルを紹介しよう。ここは、19世紀後半にスズ鉱石の取引所を開いたイギリス人実業家ルイス・ジェームズ・フレイザーにちなんで名づけられ、高原の花々や英国式コテージが点在し、夏でも冷涼性の気候の下で生活が可能となっている。私の経験では、石作りの洋館が霧に包まれて真夏でも大変涼しいと思った。我々は、洋館のひとつで軽くティーをして、ここを去ることにした。恐らく、クアラルンプール等が激暑いときに、ゴルフ等を楽しむために長期滞在するのに向いていると思う。

 次は、キャメロンハイランドである。ここは、マレーシアを代表する高原リゾートで、1885年にイギリスの国土調査官ウィリアム・キャメロンが初めてこの地を訪れたことから名づけられ。丘陵地には紅茶畑が一面に広がり、見どころやアクティビティも充実している。ツアーも多々あり、我々は主要な地域を周れるバスツアーに参加した。初めは、バタフライ・ガーデンである。南国のため15~20センチはあろうという大型で、日本では見られないようなカラフルな蝶をみたり、実際に触ることができる。次は、ハニーガーデンだ。こちらはみつばちの様子を見ることができ、はちみつを味わうことができる。日本のものと変わらないなと思った。ツアーはどんどん進み、ティーガーデンを訪れた。ここは、BOHの製造拠点だった。BOHは贈答品になるほど有名で低価格で提供されている。ティーガーデンは、さすがに美しく景観を楽しむことができた。お土産BOH TEAを買って帰り、日本で試したところ、はっきり言って口に合わなかった。価格が一番安いものを、お試し用に購入したのも理由かもしれない。その後、リバーで遊んだり、様々なフィールドワーク等を経て夕刻を迎え。宿はお決まりの一人3000円の安宿だ。代わりに、食事はレストランで地元の鶏、牛料理を楽しんだ。アルコールはひとまずタイガービールとアンカービールの飲み比べで5杯はいけた。その後は、ふと明るいBARが街中にあったので立ち寄ることにした。そこは、とにかく大きなスクリーンがあり、様々な洋楽が流れているのであるが、なかでも印象的だったのは、ドクターボンベイであった。彼は、ジョニー・ヤコブセンという名前のスウェーデン人のユーロビートミュージシャンだ。以下をダブルクリックすると聞くことができる。初めのTaxi Taxi Taxiは日本でも有名で、じつはクイズ番組の出演者が問題を考えている最中のBGMとしてよく利用されていた。我々は、現地で英国流の文化的な施設と自然の中でCoolに遊んできた後なので、この奇妙なインド風ビートは、お酒も手伝ってその場で大変笑えた。(彼は、Taxi運転手なのでお客が欲しいのだが、ほとんど目が見えなくてさらにNo Linceseなのでだれも乗りたがらないそうだ。歌詞の一部より)



   いまではもう日本でも彼の曲を聴くことはない。おそらく、このBARもなくなったことであろう。(実は、友人のドイツ人もその後10年後にドイツ逝去することになる。)これらはかれとの思い出の曲の一部になってしまった。

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マレーシア タマンネガラ国立公園

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 今から15年程前であろうか、シンガポールに駐在しているドイツ人(ABB勤務)の友人から夏休みにマレーシアのタマンネガラ国立公園へ行かないかと誘われた。特に計画もなかったので、どんな場所で、何があるかも知れないけれどもいっしょに行くことにした。シンガポールまでは格安チケットアで行ったため、空港への到着は12時過ぎ、そこからタクシーでの移動となった。YMCAの裏のプール付きのマンションであったが深夜にいくつもある住居の中で彼の居所を探すのは一苦労であった。1時をまわったところでようやく到着すると、暖かく迎えてくれ、いきなり彼の台湾の出張の戦勝品であるワインを2本も開けることになった。次の日、起きてみると11時過ぎで、とても観光客の起床時間ではなかった。ひとまず、顔を洗おうと思い、洗面台で水を出すと真っ黒なのである。しばらく流していると、通常と思しき色になったので、洗顔と軽く口を濯いだ。流しの別の蛇口で試してみても真っ黒であった。後に彼に確認してみると、そのようなことはなかったので、半信半疑のようであった。絶対に水は飲めないと心に誓いました。

 さて、お昼過ぎに動き出した我々の次の行動はレンタカーを借りて、ジョホールバル経由でマレーシアに入国することである。レンタカーで何が問題かというと、マニュアルしか用意されていないことだ。私は免許取得以来、AT車しか運転したことがなく、日本ではそれが中心なので、大変困った。そこで、空き地で急遽講習会が始まった。なんと、クラッチの感覚、半クラ、アクセル、ブレーキと30分程ドイツ人ドライバーの先生の元学ぶことになった。しばらくは、彼の運転で進んだが、彼が変わったくれというので、変わってみた。すると、なんとなめらかに進むではないか。数キロ進んで、都市部の交差点のところで問題が生じた。ひとまず、全部アクセル以外のペタルを全部踏んでストップして、信号待ちをしたのはいいが、信号の青サインの後、動かないのだ。5分程度奮闘して、1レーンを占有してしまった。最後は、オーマイゴッットサインをオーバーに後ろに見えるようにして、時間を稼いで彼に運転を変わってもらった。マレー人は温厚な正確なドライバーが多いのか、クラクションは鳴らされなかった。日本なら、うるさくて大変なことになっていたであろう。他に記憶に残っているのは、道路標識のAWASだ。山道でガードレールのないところ、落石の注意地点等にこの標識があり、ドライバーに注意を促していた。簡単なマレー語で「注意」の意味であることは簡単に想像できる。

  さて、ある程度車で内陸を進むと、船着き場の近くで車を置いて、ボートで川を遡上することになった。途中、1mはある巨大トカゲ、サル等を横目で見ながら、それほど狭くはない川を1時間は上って行ったと思う。ついに目的地に到着した。タマンネガラ国立公園はタマンネガラは、4343キロ平方メートル程度の巨大な公園で約1.3億年前から続く世界有数の熱帯雨林で、完全に都会から離れた密林である。はじめに気が付いたのは、リゾート的な場所の中心に川があり、右岸がお酒を飲める西洋人向きスペース、左岸がお酒とはいっさいないマレー(イスラム地域?)ではと思わせることだ。当然、我々は右岸に行き、宿を定めた。何と一泊500円のコンクリートの塊のような簡易宿舎である。デング熱マラリア等の発生地と思われたので、日本から蚊取り線香を持ち込み夜は安心して寝られた。

 翌日、ひとまず大陸式ブレックファストの後、アンカービールを2杯空けて、公園探索に出発した。ひとまず我々の最大の関心は、マレータイガー、マレー象等の大物の探索である。BUMBUNと呼ばれる動物観察小屋にこもることにした。遠くでサルか何かの声はすれども何も現れないのが実情である。2時間は待って何もいないとさすがに寂しくなったので、退散することにした。次は、トレッキングコースに行き、キャノピーワーク(マンション5Fはあって怖いだけ!)を楽しんだ。自然は確かに豊富だが、行き先が困難そうな自然道も多いのも事実だ。お勧めは、川で泳ぐことと、川の上に車のタイヤを浮かべてその上に乗って遊ぶことだ。どこまでも流されそうだけど、欧州系の外人が盛んに参加していた。ただし、経皮感染する可能性のある細菌等がいるそうなので注意が必要である。

 結局、大物には出会えず、日本では見られないサイズのトカゲ、美しい(個人的には)ゲッコーの鳴き声程度しか収穫はなかったので、大物はアフリカにでも行った見ることにしようかと思った。

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北京市内

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 ドイツ人の友人は、昔アメリカに留学した時に知り合った訳ですが、彼には中国人のルームメイトがいました。初めて、彼のアパートに迎えられたときに、パーティがあり、様々な国籍の人間が集まって、相当盛り上がりました。最後は、女性のヒールでお酒を飲む者、床の上で寝ている別の者等々乱れていたのを記憶しています。本人も記憶がほとんどありませんでしたね。ビールは4,5本いったのはいいのですが、ショットを混ぜるのでこれが利くのです。因みに、彼女は自分の部屋でしっかりと鍵を閉めて寝ていたようです。

 卒業後10年程経過していましたが、今回北京を2人で訪問したのを機会にこのドイツ人はかつてのルームメイトの家を訪問したいと申しているので付き合うことにしました。住所は押さえてありましたが、果たして広い北京市内(東京23区よりもはるかに広いイメージがありました。)をタクシーをとばして行ったわけですが、彼女はNYで働いているとのことで、会うことはできませんでした。彼は泊めてもらうことを前提に来ていたこともあり、その母親に宿泊の交渉をして、NOと言われていたのを覚えています。ただし、野菜餃子を大量に作ってくれて歓待してくれました。当方は、ドイツから持参したお土産を渡して帰路につきました。なんといっても、彼女は一ミリも英語ができないので会話が成立しなのです。私も知らなかったのですが、父親の部屋を見せてくれましたが、書類の宛名等から彼はかの精華大学の理系の教授であることがわかりました。アメリカに留学するだけあり、彼女は一部の知識層の人間だったようです。学生時代はウエイトレスのバイト等で苦労していたのを知ってはいましたが、その時はNYのMOMAファイナンス・マネージャーに就任していたそうです。頑張り屋さんですね。

 当然、我々は早々にその場を退散して、中華料理店に駆け込みました。北京ダックくらいは食べないとと思い2人で入った訳ですが、相当程度油つけで、野菜は油スープでした。日本の中華街のものとは違って驚くだけでした。ビールは燕京ビールですが、とにかく安くて悪くはないです。たまに青島、ハイネケンカールスバーグ等を飲みました。その後、また同じライブハウスで中国人による西洋音楽を楽しませてもらいました。次の日からさすがにおなかが緩くなってきました。そろそろ中華料理は限界でした。

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北京 万里の長城

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 私は西安から国内線を乗り継いで北京に到着しました。ひとまず、北京オリンピックの前の北京は近代化が遅れており、人々の自転車の移動も見られ、胡同という北京の旧城内を中心に点在する細い路地も多々残っていました。埃っぽいですが雰囲気のある街でした。

 さて、到着したらまず友人を探す訳ですが、(香港ABB勤務のドイツ人と待ち合わせ予定、)当時のアメリカ大使館前に2時ごろということでしたが、いっこうに現れません。1時間ほど私も大きなバッグを持って館の前をうろうろしていたため、(怪しまれたのか)中国衛兵が高台から降りてきて、何かを中国語で叫んだため、驚くとともに頭に血が上り一瞬危ない雰囲気になりました。ちょうどその時に、中からいかにもやわらかそうな米国人と中国人スタッフが出てきて、状況を聞いてきたので友人と待ち合わせをしているだけだと伝えると、あまり近づかないようにと言って去っていきました。敷地内ではないので問題はないのですが、爆弾テロと間違われそうな荷物をもっているように見られてもしかたがないです。2時間待って現れないので諦めて、かれの会社に電話をしてみると、中国に向かっているようであることはわかりました。広い北京市内であてもないので、ひとまず適当な宿を定めて(一泊5千程度)、荷物をおいて観光に向かいました。

 次の日、すっかり友人のことは忘れて、積極的に北京観光に精をだしていると、天安門広場のあたりで、見覚えのある顔がカメラで写真を撮っているではありませんか。外国人の行くところは決まっているようで、まさにお昼の良い時間に友人と合流できました。その後、故宮博物院、景山公園、天壇公園等を周遊しました。友人が相当下調べをしていたようで、人力車(友人によると、すべてツックツックと呼んでいましたが)等を利用して効率的に周りました。紫禁城は大きい建設物という感じで、上からの眺めはそれなりにいいのですが中身がシンプルすぎるという印象です。個人的意見としては、緑の中に立っている中華風建物や仏塔(Pagoda)が大変美しい、オリエンタル、きれい、印象的と思えます。

 その日の夜は、一人で食事をすることもなく、ビールフレンドも得たのでハイネケン・パーティ、ライブ・ミュージックバーといろいろ楽しむことが出来ました。当時(15年程度前)でも、中国の若者はアメリカンミュージックを愛し、コピーを繰り返していました。崔健という中国ロック界の父と言われるミュージシャン(一無所有、紅旗下的蛋等の作品を残している)も健在でした。日本でもたまに紹介されていまので、ライブをやっている若者に聞いてみるとみんな知っているけど、少々危ない面(政治批判)もあると語っていました。私は、中国語で1,2,3で始まる曲は聞き覚えがありますが、他はあまり知らないのとおしゃれでないので好きではありませんでしたが、のちに中国ロック界の父(ボブディラン的かな、もっと批判的・革命的?)といわれるシンガーになりました。

 なんとドイツの友人のお宿は初日に私が適当に止まったお宿の2件横の安宿で一泊3千円程度なのでそこに合流しました。さらに、そこのコンシェルジュ(単なるお宿のおねえさん)に頼んで翌日の万里の長城ツワーに申し込みました。なんとバスツアーですが、2千円程度だったかもしれません。

 翌日、バスを待っていると相当程度おんぼろのバスが到着し、当然お客は全員現地の中国人で、中国語の観光ツア―でした。外国人は2名のみで一人はドイツ人でかなり目立ちました。その後目的地に着きましたが、当然流暢な北京語で解説されて、2人は何もわかりませんでした。万里の長城は、とにかく長く、巨大な構築物なので北京から一番近いサイドから入りました。登ってみるとわかるのですが、石段に一段一段相当落差があるので、お年寄り、足腰の弱い人にはまったく向かないです。わたしも相当苦労して、200メートル程度歩きましたが、モモ上げが続き痛くなって来ました。ただし、上からの眺めは、きれいでした。とはいえ、草木程度しかそこからは見えませんでしたが。ひとまず、万里の長城に行った、登ったという実感は相当程度得られます。こころのマップに達成の〇です。

 その後、他の公園等も行ったようですがあまり記憶にありません。ただし、印象的だったのは、お昼を食べたのですが、やけに綿花のようなものが空中に舞っているエリアがあり、これが天然の綿なのかと思えたことと、友人が蒸した魚を食べたのですが、後でおなかが痛いと言っていたことです。わたしは魚が好きではないのと、少々火の通りが怪しかったので一切手を付けませんでした。とにかく当時は物価が安かったです。因みに、2人で地元の人が利用するような飲み屋でビール4本、ぎょうざを相当食べてトータルで1500円以内だったと思います。次回は、北京市内の友人宅訪問です。

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西安旅行

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 今から15年程前であろうか私は夏休みに香港(ABBに勤務)に駐在しているドイツ人の友人と予定を合わせて、中国観光に行くことにした。北京で待ち合わせをすることにしていたが、2日ほど予定が空いていたので、私だけ先に中国に入国して兵馬俑を見るために西安に行きました。

 西安は唐の都があった場所であり、城壁と鐘楼が大変美しいです。都市に入った瞬間にホテルは城壁に近いBell Towerに決めました。ここで初めのトラブル発生で、フロントでの料金を聞き違えた(先方は違う値段を言っていたと思いますが、)ためにチェックアウトの際に予想外に高い値段を請求されて驚きました。料金は紙ベースで確認すべしです。少々埃っぽいですが、城壁都市はきれいです。西洋の城壁都市に通じるところがあると思いました。因みに、夕飯は地元の中華料理店に行きましたが、すべての料理が油につかっていました。日本人は慣れていないので注意が必要です。

 次の日、近くのANAホテルに電話をかけて、ガイド付きタクシーを雇うことにしました。彼は日本語と英語ができる地元の人間で、名刺をなぜか20枚程度くれたのを覚えています。(まるで、駅前でティッシュペーパーを配っているようで、配るノルマがあるのかと思われますが、)お客さんを紹介してくれと言っていたので、商魂たくましいだけのようです。さて、タクシーは兵馬俑方面に走り出しました。かれは中途で色々名所を紹介してくれるのですが、(私は年上で、お客様なのに)日本語に敬語がないので、少々不快になり、英語にしてもらいました。すると、なんとスムースに関係が構築できるではないか。英語のマジックでした。

 兵馬俑は予想よりも広く、よく言われるように人形一体一体の顔が違いました。今は何号抗と幾つかのブロックに分かれているようですが、当時はそれほど発掘が進んでいなかったように記憶しています。しばらく兵士、馬等々眺めていましたが、飽きてきたので去ることにしました。その後よくあるミュージアムショップでお土産物をさがしましたが、2体セットの兵士のテラコッタ人形をしつこく勧められたのを記憶しています。買ってもいいけど、でも特段欲しくもないと思っていると、「これはあなたがいままで手にした中で一番のおみやげになるでしょう。」「決して後悔はしません。」と言われ、箱ごと押し付けられました。結局買いました。家では箱の中で眠っていますが、たまにみると当時を思い出し、たしかに後悔はしていないなと実感します。いきなことを言う物売りですね。その後、華清池をみて、帰路につきました。彼が地元の市場で野イチゴを大量に購入したので、2人で食べることにしました。印象的なのは、休みを取るために草むらに車を止めた時に、200メートル先に非常に腐食の進んだ古い原子力発電施設が見えたことです。しかもブーン、ブーンと規則的なタービンを回すような音がして大変怖いものをみたような気がします。いかにも漏れそうでした。

 私のつぎの目的地は北京です。彼に別れを告げて、大量のイチゴを抱えて国内線に乗り込みました。なんと国内線の中では、スチュワーデスの美人投票が行われており、ひとまずすべてを見て、寝ているうちに北京に着陸しました。次回は北京編です。

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フィリピン セブ島 リゾート

 

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 随分と昔の話ですが、セブ島の北端のビーチリゾートのAlegre Beach Resort Hotelに行ったことがあります。最近機会(レアジョブというオンライン英会話にて、先生が全員フィリピン在住のため、私の過去のフィリピンへの渡航の話が出た)があってホームページ等調べたのですが、どうやら閉鎖されたようです。当時はファイブスター扱いの高級リゾートでしたが、空港から2時間は車でかかるのでそれが閉鎖の一因かとも考えております。残念な話です。

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 思い出深いのは、セブのリゾートホテルでガイドに絶対に敷地から出てはいけないと言われていたにもかかわらず、テニスのヒッティングパートナーをしてくれたホテルの従業員に誘われて敷地外のカラオケに行ったことです。山にゲリラがいるので、門にはマシンガンを抱えたガードマンがいるようなところです。そのカラオケで朝まで80年代の流行歌(「ヘイ、キャロル」を彼が流ちょうな歌ったときは驚きました!!)を歌ったり、軽いサンミゲルを飲みましたが、驚いたのは、他の従業員(部屋の清掃員、ベッドメイクをしてくれた者、公園の清掃員等)も10人程度来てみんなでビールを飲んだり、カラオケに興じたことです。最後(ビールが40本は空いていましたね。)の支払いは当然私に来ましたが、良心的な値段でした。敷地外は物価も破格に安いようです。顔なじみの従業員ばかりでしたが。

 因みに、今日のレアジョブのDaily News Articleのテーマはエッセンシャル・オイルは家庭の喘息の原因になるような空気の洗浄の一助になるというものでした。ユーカリの木はバクテリアを食べる白血球を増加させ、ラベンダーオイルはリラックスさせるとしています。

 うちのラベンダーオイルを奨めるときは、汗の臭い消し、お風呂に数滴でアロマ効果、枕に一滴で心地よい睡眠をもたらし、蚊に刺されたときには一滴という感じで効能を紹介しています。興味ある方は下記をご訪問ください。

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鎌倉 極楽寺、成就院、湘南海岸

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 今日の散歩は江ノ電極楽寺駅からスタートしました。同駅は、私の年では再放送しか見ていませんが、1970年代にテレビで放映された「俺たちの朝」でたびたび登場しています。おぼろげながら懐かしいなと思える駅です。

 

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 実際のお寺は写真のような感じで、門をくぐると、参道が続いています。蝉しぐれの中、進んで行くとお堂があります。今日はそこで商売繁盛、学業成就を祈願してきました。どれほどの御利益があるかは不明ですが、散歩には最適な距離でした。なお、お寺は「極楽寺(ごくらくじ)は、神奈川県鎌倉市極楽寺にある真言律宗寺院である。山号霊鷲山(りょうじゅさん)。詳名を「霊鷲山感応院極楽律寺」と称する。本尊釈迦如来開基創立者)は北条重時開山忍性である。」とされています。

 

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 次の目標は成就院です。階段を上がる突然眼前に海が見えてきます。本当に美しい風景です。ここはお勧めできます。

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 中は意外と広くはないですが、ビデオが設置されており、スイッチを押すと5分程度でしょうか、寺の縁起等について解説してくれます。これは参考になります。なお、お寺は「成就院(じょうじゅいん)は、神奈川県鎌倉市にある真言宗大覚寺派の寺院。山号は普明山。寺号は法立寺。本尊は不動明王アジサイの寺として知られる。」とされています。9月初旬はあじさいは残念ながらありませんが、素敵な湘南海岸が待っています。海岸に降りて、134号に沿って歩くにはいい季節です。 

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 江ノ島も海の先に見えます。天気のいい日は富士山も見えるはずです。季節的に、9月は暑くもなく、寒くもなく散策には最高のタイミングです。そのまま進むと極楽寺というよりも江ノ電稲村ケ崎駅まで来てしまいます。同駅名は「稲村ジェーン」という加勢大周主演の映画を思い出させます。「昭和40年、湘南鎌倉市稲村ヶ崎を舞台に、20年に一度の台風によってもたらされるという伝説のビッグウェーブ、〈ジェーン〉を待つサーファーたちそれぞれのドラマを描く青春物語。」とされていますが、これはライブで見ることが出来ました。ストーリーはさておき、サザンの挿入歌が印象的でした。ダイハツミゼットとサーフボードと音楽程度しか記憶に残っていませんが、何か雰囲気のある、何かを残した映画だと思います。今日も湘南の海は水平線も明らかに、世界につながっているんだなと感じさせました。出航すると、アメリカに行けますよね。

 

 以下は、外洋につながる意味のAltamarという名前のショップの紹介になります。宜しければ、ご訪問いただければと思います。

 

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